28歳で痛風になって5年半が経ったのでいろいろ振り返る

痛風予備軍の20~30代男性に読んでもらい、「おれはお前みたいに痛風になりたくない!気を付けるど!」と思ってくれたら幸いである。
28歳で痛風になったときの話
2020年4月30日、世間はコロナ真っただ中。起きて歯を磨こうとすると、左足首にまるで捻ったかのような違和感があった。だが、特に気に留めず歯を磨きトイレに行き、そしてノートパソコンを開いた。
この頃、緊急事態宣言により出社は原則禁止、リモートワークが主流となっていた。そのため、朝からアパートのワンルームでトラブル対応を1件だけこなし、それ以外にすることもなくぼーっと過ごした。
昼ごとになると、左足首にちょっと痛みを感じたがそれでもあまり気にせず、午後もぼーっとすごし仕事は滞りなく終了。
17時30分を過ぎ、夕食になんかつくろうかななんて考えていたとき、左足首に無視できないほどの痛みがやってきた。それからじわじわ痛みが増していき、19時になるころには激痛になって歩けなくなり、ベッドに横たわり左足を天井に突き上げながら悶えていた。
左足首をよくよく見てみると腫れあがって、くるぶしが真っ平になっているではないか。ショック。
20時頃にトイレに行きたくなったときはもう惨め。左足が全く使えないので右足ケンケンで行き、右足立ちで尿を済ませ、戻る時にトイレ横の玄関に置いていた傘を取り、杖代わりにしてベッドに戻り再び横になった。
気が付けば24時を超え日付が変わりGWに突入。世間はワクワク、私の足はズキズキ。その後も痛みは治まらず悶え続けていると、窓から朝日が差しこんできた。時計を見ると7時、そして気絶するように眠りに落ちた。
起きたら12時過ぎ、とにかく最寄りのクリニックへ行こうと調べたが午前の診察が終了しており、午後は16時から再開。それまでの4時間どうやって過ごしたかは記憶がないが、激痛だったことだけは身体が覚えている。
16時になり、最寄りのクリニックに向かうことに。自宅のアパートから最寄りのクリニックまでたった400mだが歩けず、仕方なくアパートの駐車場の一角にあったタイムズカーシェアを使い、細心の注意を払ってクリニックまで向かった。
クリニックに到着し右足ケンケンで入り、受付の看護師に一言「足が痛いです」。分かっていますと言わんばかりに「少々おまちください」。なんとも切ない。
名前が呼ばれ診察室へケンケンで入り先生に症状を説明し、左足首を見てもらって先生が一言。
「痛風ですね、痛み止めと胃薬出しておきますね」
「どうやったら、治るんですか?」
「痛風は生活習慣病なので、規則正しい生活をするしかないですね」
「あ、わかりました…」
診察室を出て薬をもらい車に乗り、帰る前に食料を買い込みにコンビニへ。もちろん痛みが引いてないので右足ケンケンで入店し、カゴを手に数日分の食料を適当に詰め込む。
レジで会計中、店員さんに「ダイジョウブデスカ?荷物ハコビマスヨ?」と優しく言ってくれた。ほんまはめっちゃ嬉しかったけど、恥ずかしさと意地で「大丈夫!」と強がってしまった。
あの店員さん、おそらくミャンマーあたりから来た子やと思うけど、今会ったら、あの時はありがとうございましたと伝えたいな。
車に乗って自宅に戻り、パッパと食事を済ませ痛み止めを飲んだら数時間で痛みが少し治まった。薬は偉大である。それからGWが終わるまで薬を飲み続けたら、痛みが完全に治まった。
GWが終わりコロナが少し落ち着いたときに出社することとなり、当時の上司や先輩社員方、同僚たちにこの話をした。話を聞いて笑う人、心配してくれる人、さらには「ようこそ!」と握手してくる”痛風先輩”もいた。
痛風先輩の中には、一切お酒を飲まないのに痛風家系やから28歳で痛風発症した方もおり、痛風にもいろんなバリエーションがあることをこの時に知った。その先輩とは痛風発症以降に仲良くなったのは言うまでもない。
28歳で痛風になったときの食事状況や健康状態
「28歳で痛風とかありえへんやろ!」と、かれこれ100万回は言われたので、その当時の食事状況や健康状況を箇条書きにしてみる。
- 営業職で毎週社内外の接待が少なくとも1回あり、週末は飲み会や遊びに行ってお酒を飲んだり、1年中ほぼ毎日お酒を飲んでいた。
- お酒は種類を問わずなんでも飲んでいた。特に日本酒が好き(これは今も変わらず)。
- お酒を飲むときはあまりツマミを食べず、食べたとしても魚卵系・白子・銀杏などプリン体高めのモノが多かった。
- 痛風になる3年前から健康診断で尿酸値7.0超え、痛風発症前の診断では尿酸値9.4だった。
- 運動はゴルフとフットサルをたまにやる程度。
- 健康対策は一切せず、脳内に健康の文字はなかった。
まあ、なるべくしてなったという感じである。それでも、まさか自分が痛風になるなんて考えたことはなかったし、なってからもなんでやねん!とずっと思っていた。
28歳で痛風になった後の気持ち
とにかく情けないのと恥ずかしい気持ちが半々。痛みに悶えていた時は何も考えられなかったが、痛風診断後に痛み止めの薬を飲み、痛みが治まってきたときにそう感じた。
だが、この出来事を隠すのはもったいないと思ってしまうのが、悲しい大阪人の性。せっかくならこの話を活かさなければと、前述のとおり当時の会社の人や取引先の人にまで言いふらしていた。
言いふらしていると、20代で痛風になるなんて珍しいと名前を覚えてもらったり、乾杯の場でビールを飲まなくてよかったり、無理に魚卵を食べなくてよかったりといいことがあった。
もし20代で痛風になったら、これくらい気楽に話したらいいのではないかと。30代やと痛風発症者もだんだん増えてきて希少価値はないが、自分の身体を守るために回りに言いふらすほうが吉。
痛風発症から5年半が経った
28歳で痛風発症して3週間ほどはお酒を控えていたが、なんらかのきっかけでお酒を再開した。それから5年半経ったが、それ以降一度も痛風は再発していない。
ただ、ガンであれば5年で寛解するが、痛風は生活習慣病なので寛解という概念がないので、一生付き合わなければいけない。
いま思えば、痛風発症時の飲酒量やツマミは異常だったし、生活もかなり乱れていた。サラリーマンのストレスを酒で流していたのは否めない。
あの時ほど毎日飲もうと思っても今では飲めないので、自然と以前よりは健康になっているはず。これといって再発予防はしていない。
28歳で痛風になって人生を考えるきっかけになったので、結果的にはあの時に痛風になってよかったのかもと今では思えるが、あの痛さを2度と経験したくない。
まとめ
「風が吹いただけでも痛いから痛風」ではなく、「風が吹かなくても痛いから痛風」が正解。お間違いなく。










