AIは最高やけど創造の楽しみだけは作れない

「2025年はAIの年!」と聞いて、私もいろいろトライしてみまして、先月はchatGPTに初課金までしました。課金したらgpt-5で何回でも文章や画像生成、プロンプト自体を生成依頼できて、しかもほんの数十秒で完成しちゃうんですね。
一時期は朝から晩までchatGPTに質問したりして、どっぷりつかってみたんです。ほいで気づいたんです、「んー、AIは最高やけど、なんか楽しくないぞ」と。
まあ、私のAIというかchatGPTの使い方がすべて創作に振り切ってたから、ちょっと感想に偏りがあるのは仕方ないが。正しいAIの使い方っておそらく、資料作成やコーディングみたいな無駄でめんどくさいことを代わりにやってもらうのがベストかと。
一方、創造に全振りしてAIを使うと一瞬で完成するけど、完成までの過程でつまづくこともなければ、「ここはこうやってみたらどうかな」なんて考えることもないから味気ない。
私みたいに針と糸でチクチクするのが好きな人は完成までの過程が特に楽しくて、実は完成したらあんまり興味がなくなって次はどれをやろうかなーって脳内切り替えしちゃうんです。
料理なんかも同じで、レンチンしたら完成の美味しいグラタンはもちろん美味やけど、レンチンするのが楽しい!なんて奴はおらんし、作る過程が楽しいからグラタン作ろう!ってなるわけで。
文章も同じで、このタイトルでこんな感じの文章作ってってAIに指示したら一瞬やけど、自分で書くから楽しいわけで、やからブログを2025年になってまたまたまたまた再開したわけで。って話は、前にnoteに書いたな。
まあ、なにが言いたいかというと、タイトル通り「AIは最高やけど創造の楽しみだけは作れない」ってこと。あくまで創造の楽しさは自分で生み出すしかないのよね。これは10年後も100年後も変わらんやろうね。
むしろ、AIに頼り切ってしまって創造することすらやめたら廃人になりそうで怖いね。なにして生きていくんやろうね。人間のやることなくなっちゃうYO!なんて想像しちゃったり。
もちろん、AIの発展は賛成でAIの能力は最高やけど、付き合い方は考えないとね。ん、これって人間関係もそうかね。なんて余計な話を始めてしまいそうなんで、今回はここまで。チャオ。