超個人時代をふらふら

昨今、AIを含むデジタルがとてつもなく進化して、もはや人間の出る幕はなくなってしまうんではないかと思ってしまうこの頃。
工場で美味しく生産された冷凍食品はあるし、ボタンひと押しで洗濯は簡単に出来るし、掃除も床をくるくる動いて勝手にきれいにしてくれるロボットもあるし。
なにか書きたいなと思えばAIにお願いして草案をすぐに作ってもらえるし、こんな曲を作りたいなと思ったらAIにお願いしてすぐに作ってもらえるし、こんな動画作りたいなと思ったらAIにお願いしたらすぐに作ってもらえるし。
なんか相談したいことがあればAIに聞いたらすぐに回答してくれるし、なんか愚痴りたいときはAIに言えばそれっぽい返事をしてくれるし、なんか悩み事があればAIに言えばそれっぽく慰めてくれるし。
あれ?やっぱり人間いらないですね。AI優秀なデジタルなもの(以下デジモンといいます)があれば、人間とのやりとりで必ず出てくる煩わしさがないし、時短できるし最高じゃあーりませんか。
ですから、これからはデジモンを使いこなして効率よく1人で楽に過ごして行きましょうね。ではでは。
…
……
否、超絶便利で煩わしさもない無味無臭な世の中で当たり障りも刺激もない暮らしって持続可能ですか?
「冷凍食品チンするのが楽しいんです!」
「AIに相談するのが楽しいんです!」
「AIに悩み聞いてもらって最高!」etc…
まあ、楽やし楽しいこともあるかもしれへんけど、なんか味わいがないと言うかなんというかねえ。
1人で何もかも出来る「超個人時代」に数年前から突入しているとは感じていたけど、これからもっともっとその時代がやってくるなーと。
ついには最近AIと結婚した女性というニュースを見て、「いよいよやってきたねー」と興奮と不安でゾクゾクしたのを覚えています。
そのうち、「私とAI、どっちが大切なのよ!?」と、AIに恋愛感情を抱いてると誤解されて振られる人も出てくるんちゃうかな。めっちゃおもろいやん。
そもそも、こうした流れは数十年にわたって確実にゆっくりと形成されていたんですよね。サザエさんのような三世代同居スタイルから核家族化していき、成人すれば故郷を離れ親や親戚とも離れ離れ。そのまま就職して、故郷へ帰るのは多くてもお盆と年末の年2回。
それに加えて更にデジモンを使っていつでもどこでも簡単にビデオ通話してお互いの顔を確認できるから、「まあ急いで帰る必要もないよねー」っとだんだん帰らなくなり、気づけば早数年。
ましてや、今は1人時間をデジモンやあらゆるネットサービスで楽しく過ごすことが出来るから、寂しさも感じへんし煩わしさもないしハッピッピー。
…ピッピー?
でもね、そんな時代やからこそこれから貴重になるスキルが出てくると思うんです。それは「老若男女と接する能力」。
超絶便利な超個人時代において、もはや自分と同世代の人たちや仲いい人とだけ接してストレスなく楽しく過ごせる中、わざわざ同世代以外の人や仲良くない人と接する必要はもちろんないわけで。
今後はデジモンの進化に伴いさらにその必要がなくなるからこそ、あえて老若男女と接するんです。
人間は慣れと飽きが出てくる生き物なので、今の超絶便利な超個人時代にいずれ飽きるんです。そのスパンがどれくらいかはわかりませんが、必ずそうなると感じています。
するとどうなるか。人に戻ってくるんです。例えばここ数年、20代の子たちでアナログ回帰が話題となってますね。レコードプレーヤーやあえて紙とペンで文字を書いたり、「やっぱ紙がいいよね」って本を買ったり。また、昭和レトロのブームしかり。
この流れを最初はデジモンの進化に対する飽きと反抗と見ていたんですが、どうやら違うなと。わざとアナログ回帰をすることで「私はあえてこんなことやってます!」って人に言って、人と触れ合いたいんちゃうかと。
デジモンを1人でこねくり回して十分に1人で楽しんだら飽きがやってきて、そして1人で遊ぶことにも飽きがやってきた。そこでこれまで触れたことがない「アナログ回帰」をやって、人に話すきっかけを作って人に触れよう!結局人は1人で生きるのは難しいんやろうね。
さっきテレビを見ていると無人コンビニが紹介されてて、もはや人がいらない社会になっていこうとしてますが、いつかどこかでその流れが逆流してくるでしょう。
そうすると、無人コンビニが味気なくなって、商店街の個人店のように地元のおっちゃんおばちゃんで一緒に仲良く小さく営んでいるお店回帰がやってくるんじゃないかと。
そのときに必要なのが「老若男女と接する能力」。いきなり個人店をしようとしても、この能力は一晩で身に着けることは出来ないんでね。まあ、慣れだけかもしれませんが。
モノなんかどれも質はほぼ同じで差別化出来ないから、最後はその人自体の魅力で差別化するしかないんですよね。
その魅力というのも、優れたスキルというわけではなく「アホ」みたいなんが重要なんではないかと。このへんは超感覚的なことなんで、説明したら100万文字超えるんでいつか有料noteで書こうかな。
まあ、とにかく超個人時代においては、あえて必要でもないことをして楽しむことが大切で、そのためには老若男女と接しておいたらええんちゃうかなと、つい先日身内四世代で集まって日本酒をがぶがぶ飲んでいる時に思いつきました。
注いで注がれてするのは、日本酒のええとこですな。
「って、プータローのお前がなにいうとんねん」って話よね。
まあ、ぼちぼちいきましょ。










