考えを文章化して発信するのは、ある意味スッポンポンになるより恥ずかしい。

いまや誰もがスマホやパソコンを使って、簡単に自分の考えをSNS上に発信することが出来る時代。SNSの刹那性がそうさせるのか、それとも人間の発言欲求ないし承認欲求なのか。

理由はなんでもいいが、自らの考えを発信することは楽しくもあり怖くもある。なんて思いながら、いまもこの文を綴っている。

さて、私はブログを最近またまた再開した。ブログではなるべく自分の言葉で書くことを意識している。

すると、何気ない文章の端々に自分の考えが散らばっているのか、ブログを読んだ知人たちから「あなたの文章はなんか個性的ねー」「そんな考えもあったのねー」なんて連絡をくることも。

それはそれでありがたいが、なんとも言えない気持ちになる。というのも、自らの考えを文章化して発信するのってある意味、スッポンポンになるより恥ずかしい行為、と思っているからだ。

なぜなら、スッポンポンを見られたくらいだと、「あっちゃー」くらいで済むが、考えを文章化したものを見られると、思考の癖、価値観、感情などがあらわになり、まるで自分の内面を丸裸にするようなものだからだ。

とはいえ、自ら進んで考えを文章化して発信してるくせに、なにを言うとんねん!と言われれば、それはそうよね。

だからと言って、今後も自らの考えを文章化して、ポンポン発信するのもどうなのか。事実、これまで発信してから後悔して、文章を削除したこともしばしばあり、なんなら、ブログを閉鎖しては再開するを何回も繰り返している。

じゃあ、どうやって考えを文章化して発信を続けていくのか。そこで思いついたのが、恥ずかしさの度合に応じて、料金を設定しようということ。つまり、有料記事にするのだ。

「そんなん、だれもあんたの考えなんか金を払ってみたくないわ。」そういう声が聞こえてきそうだ。でもそんなの関係ねえ。

例えば、セクシー女優だって人前でスッポンポンなって、あんなことやこんなことをして、結果タダやったら誰もやりたくないだろう。「それが快楽やからやってるんです。お金なんていりません。」なんて人を私は知らない。やっぱり、それなりの見返りを期待するわけである。

身体同士が繋がっていても、お互いの心は繋がっていないなんてのはざらで、だからがんばれるのだろうか。おっと、話が飛んでしまった、失礼。

まあ、自らの考えを文章化して書籍化あるいはKindle出版する例は山ほどあるわけで、それにあやかろうってこと。もちろん、興味を持ってもらうことが必要で、いきなりすべて有料で発信するわけではないが、徐々に進めていくつもりだ。

というわけで、これからも心のセクシー俳優として、自らの考えや思考を文章化して発信を継続しよう、と思う今日この頃。ではでは。

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