AIに関する考えとAI時代の楽しみ方について、私の超偏見を少し綴ります。
AIはどえらい進化が進んで、もはや何が何かわからなくなってきましたね。
その考えが私の中でより一層強くなったのは、「AI AV」とやらを知ったからです。
先日、ホリエモンと伝説の日本人エンジニアである中島聡さんの会談をYoutubeで見ていると、「生成AIによるAVがすごい」と話が出たので、試しに「AI AV」とGoogleで検索しました。
すると、数多のDVDが検索で引っ掛かったので、サンプル画像を見てみました。
一目で衝撃を受けました。AI技術が向上しすぎて、もはやどれが本物かAIか私にはあまり判断がつきませんでした(気になる方はご自身でお調べください)。
その瞬間、私は確信しました。「もうAIは人間を超えた」と。
画像や文章、動画に音楽、さらにはプログラミングや数式などデジタルで生み出せること、いやなんでも人間はもう敵いません。もう、抗うのはやめました。AIは人間の危機と言う人は今年には消えると思います。
なんなら、もはや人間という存在が今後不要になるのではないかとの恐れが一瞬頭によぎりましたが、過去を振り返れば似たような事例があることを思い出しました。産業革命です。
産業革命は18世紀後半から19世紀にかけてヨーロッパで始まり、工業技術と社会構造に大きな変化をもたらしました。イギリスでの蒸気機関の発明は、繊維産業や製鉄業に革新をもたらし、工場生産が普及しました。また、交通分野では蒸気機関車や蒸気船が登場し、物資や人々の移動が劇的に効率化しました。
こうした効率化の反面、当時の人々はおそらくAIにショックを受けた私と同じ恐れを抱いたのではないでしょうか。「もはや、人間いらんやん」と。
それまで人力で行っていた面倒な作業が機械や乗り物に代替されて得た便利さと引き換えに、自らの存在価値を失いかけて、どうしたらいいか分からなくなったではないかなと。
そういう意味で、18世紀後半の産業革命の状況と現代のAI革命の状況は非常に似ている、と私は勝手に感じてます。
では、これからどうしていくか。徹底的に面倒なことはAIに任せ、自分は楽しいと思うことにフォーカスしてのんびりする。この一択です。
私の想像ですが、産業革命のときも産業革命に抗っていた人よりも、産業革命を受け入れ「自分の自由な時間できた、ラッキー」と開き直ってのんびり過ごしてた人が、最後はなんやかんや楽しく過ごせてたんだろうなと。
なので、AI革命という流れに抗わず、AIという優秀な仲間が私に出来たと思い、面倒なことはほぼすべてAIに任せます。
そして、自分が楽しいと思うこと、手刺繍や刺し子、魚などの手作業、または旅を楽しんでのんびり過ごして行こうと、AIの進歩のおかげでさらに決心がつきました。
もし、好きなことをやりたいと思っても一歩踏み出す勇気がもてない方は、AIの進歩を感じてAIに面倒なことをすべて任せましょう。
AIの進歩をまだ感じていない方は、「AI AV」でGoogle検索しましょう。跳ぶゾ。ではでは。