手間を楽しむ。

「手間」と聞くと、めんどくさいイメージがありますか。

例えば、料理。いまや千円あれば美味しい冷凍食品でお腹を満たすことが出来るほど便利な世の中で、子どものために料理する親はともかく、友人や自分のためにわざわざ料理を作っている人もまだまだいますよね。

料理に興味ない人には料理の手間はただの苦痛でしかないですが、料理好きの人にはその手間が楽しいです。「この魚はどう切ろうかな」「ちょっと砂糖多めのほうが美味しいかな」など考えている瞬間も楽しみだろうなと。

私の場合、手縫い刺繍や刺し子がまさにそうです。今どきミシンを使えば一瞬で刺繍や裁縫が出来るのに、わざわざ一針ずつちまちま縫っていくわけです。

そんな自分の姿をたまーに俯瞰で見る瞬間があるんですが、「そんなめんどくさいことせんと、ミシンつかったらすぐ終わるやん」と、まるでお告げのように正論が自らに降りかかってくるんですね。

「そうよね」と一瞬思うけど、ふと我に返り「文明の利器に我が楽しみを奪われてたまるか!」と心の中でつぶやき、またちまちま一針ずつ縫い続けます。

こんなある種のクレイジーなことがなぜ出来るかというと、手間が楽しいからなんですよね。なんなら、作品が完成したときよりも、刺繍や刺し子をしている時のほうが楽しいかも。

「次はどう縫っていこうかな」なんて考えながら、好きな音楽をかけてひたすら縫い縫い。場所なんてお構いなしで、旅先のゲストハウスで旅をほったらかして縫い縫いしたことも。

そんな私の姿を見た母に「もう老眼やからそんなん出来へんわ」と言われたときは、この楽しみをいつか手放す日がやってくるのかという切なさに1分だけ襲われましたが、そのときはそのときで違う手間を楽しんでいることでしょう。

それよりも一番怖いことは、あらゆる営みがめんどくさいと感じて、自らの身体をほとんど動かさず過ごすこと。そうなると、時間が過ぎ去るのをただ待つだけの面白くない日々になりかねません。

せっかく人間として生まれてきたからには、身体を動かし手間を楽しみたい。これからはAIの進化で、早かれ遅かれ人間はもはや暇をつぶすだけの生活になるでしょう。その時、手間を楽しめる人は楽しく暮らせること間違いなし。

さて、刺し子の続きでもしよか。ではでは。

2025-01-14|
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